上杉神社

上杉神社 神社
神社
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上杉神社は、山形県米沢市の松が岬公園(米沢城址)内に鎮座する神社で、御祭神は上杉謙信公。旧別格官幣社。江戸時代には謙信の遺骸を納めた祠堂があり、仏式で祀られていましたが、明治の神仏分離で新たに神社が創建されました。本丸のあった境内は水濠に囲まれ、桜の名所にもなっています。

旅行先の地図

旅行先の概要

この神社は、境内の移動は比較的容易ですが、経路に階段があるために拝殿至近まで車椅子で移動することができません。詳しくは解説文を参照してください。

御祭神 上杉謙信命
所在地 山形県米沢市丸の内1丁目4−13
交通 JR米沢駅から山交バス「白布温泉行き」又は米沢市街地循環バス「循環右回り」で約10分、「上杉神社前」停留所下車。
東北自動車道「福島飯坂IC」から車で約1時間。
拝観料 無料。ただし、「稽照殿」は大人:400円、大学生・高校生300円、小・中学生200円。
駐車場 松が岬公園の北東側に無料駐車場あり。身障者用区画あり。
URL  
連絡先 上杉神社社務所 0238-22-3189

歴史・由来

上杉神社は、山形県米沢市の松が岬公園(米沢城址)内に鎮座する神社。御祭神は上杉謙信命。旧別格官幣社。

戦国の名将・上杉謙信は天正6年(1578)に越後春日山城で急死し、その遺骸は城内に祀られますが、慶長6年(1601)、次の当主である上杉景勝が米沢に移封されると、遺骸も米沢城に移され、のち祠堂が建てられます。この祠堂は現在の松が岬公園の舞鶴橋(正面参道)を渡った先の高台にあり、法音寺はじめ越後から米沢に移った真言宗の11ヶ寺(能化衆:のうげしゅう)が勤仕してきました。

明治時代に入ると、神仏分離令及び廃城令が発せられ、遺骸は国有地となった城内から上杉家廟所に移されるとともに、旧城内においても謙信の霊を神式で祀ることになり、米沢藩9代藩主で「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」の辞で知られる上杉鷹山を合祀して「上杉神社」となります。

明治35年(1902)、国家の功臣を祀る「別格官幣社」の社格に列せられ、この時鷹山は摂社「松岬神社」に遷されました。

大正8年(1919年)、米沢大火で本殿以下の建物が全焼し、米沢出身の建築家で文化勲章受賞者・伊東忠太の設計により現在の社殿が再建されました。

公園内には濠を囲んで約200本の桜の木が植えられており、観桜の名所としても親しまれています。

車椅子で旅行するポイント

この神社は、境内の移動は比較的容易ですが、経路に階段があるために拝殿至近まで車椅子で移動することができません。詳しくは解説文を参照してください。

上杉神社

【1】松が岬公園の北東に無料駐車場。誘導員あり。身障者用区画・身障者用トイレあり。

上杉神社

【2】水濠を渡り上杉神社の参道へ。参道はほぼ平坦な石畳で、段差のある箇所には段差解消ステップが置かれている。

上杉神社

【3】参道途中の売店の脇にも身障者用トイレあり。

上杉神社

【4】神門には手すり付きの階段が5段。門の敷居も段差。車椅子ではここまで。

上杉神社

【5】階段を越えると上杉神社の社殿。玉垣内は目の細かい玉砂利敷だが参道部分は石畳。賽銭箱は参道より2段高い位置。

上杉神社

【6】宝物館の「稽照殿」は入り口・内部とも簡易なスロープが設置されている。ただし、入口の敷居に大きな段差あり介助を要す。



上杉神社境内図

周辺の名所・観光スポット

稽照殿

社殿北側にある上杉神社の宝物殿。上杉家伝来の刀剣、甲冑、書画など多数が収蔵展示されており、直江兼続が所用していたと伝わる「金小札浅葱糸威二枚胴具足」(「愛」の前立の甲冑)や、重要文化財で上杉謙信所用の鎧「色々威腹巻」などが含まれている。大正12年建設の建物そのものも近代和風建築として登録有形文化財。
【入口・館内とも階段に簡易なスロープあり。ただし、入口扉の敷居部分に大きな段差あり介助が必要。】

周辺の名所・観光スポット

米沢市立上杉博物館

松が岬公園前にある市立博物館で、県立の「置賜文化ホール」との合築施設。米沢藩中興の祖である上杉鷹山の治世や収蔵品の国宝「洛中洛外図屏風」などを中心として、広く米沢藩の歴史や文化に関する常設展示を行うほか、テーマに応じた企画展示を行っている。
【身障者用トイレ・スロープあり】

■参考リンク:伝国の杜