麻賀多神社(稷山社)

神社
この記事は約4分で読めます。

麻賀多神社は、旧印旛郡内にある「麻賀多十八社」の総本社で、戦時中に『日月神示』とよばれる予言書の自動書記がなされた場所としても知られています。毎年7月の例大祭では伝統の獅子舞が舞われ、成田市の無形民俗文化財に指定されています。また、境内には樹齢1300年を超えるといわれる東日本一の大杉があります。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 和久産巣日神
所在地 千葉県成田市台方1
交通 京成本線「公津の杜駅」から成田市コミュニティバス(北須賀ルート)で約8分、「麻賀多神社前」停留所下車すぐ
東関東自動車道「富里IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内周囲に無料駐車場があります。満杯の場合は道路反対側にも駐車場があります。
URL
連絡先 麻賀多神社社務所 0476-28-5736(毎月1日、15日の8時~14時に限る)

歴史・由来

麻賀多神社(まかたじんじゃ)は、千葉県成田市台方にある神社で、旧印旛郡内に18社ある「麻賀多十八社」の総本社として知られる延喜式内社です。

社伝によると、景行天皇の時代、日本武尊が鏡を杉の木に掛け、その木の根元に勾玉を埋めて伊勢神宮を遥拝して豊作を祈願したのがはじまりとされています。

応神天皇の時代、印旛国造に任じられた伊都許利命(いつこりのみこと)は、夢告により地中からこの勾玉を掘り出し、鏡とともに依代として和久産巣日の神(稚産霊命)を「真賀多真(勾玉)の大神」と号して祀ったとされています。

のち推古天皇の時代、伊都許利命8世の孫にあたる広鋤手黒彦が、現在地の成田市台方の稷山(あわやま)に社殿を造営して遷座したため、稷山社、台方社とも呼ばれますが、もとの麻賀多神社は、いまも成田市船形に奥宮(地名から手黒社、船形社とも)として鎮座しており、奥宮右手にある方墳の公津原第39号墳は、印旛国造・伊都許利命の墳墓とされています。

また、『延喜式』編纂の際、「真賀多真」というのが皇室のシンボルである「三種の神器」のひとつと同名で畏れ多いことから、1字を抜いた「真賀多神社」に改称し、さらに一帯が麻の産地であったことにより、再び「麻賀多神社」と文字が改められたといいます。

毎年7月の最終日曜日には、麻賀多神社の例大祭が開催されますが、豊作祈願と悪魔払いの意を込めた獅子神楽が奉納されており、これは少なくとも江戸時代の享保年間以前にはじまる伊勢神楽の流れを汲むものとして、成田市の無形民俗文化財に指定されています。

戦時中の昭和19年(1944)には、この麻賀多神社の境内末社である「天之日津久神社」を画家であり神道家でもあった岡本天明が参拝したところ、直後に神懸りして国常立尊からの神示が下され、社務所に詰めて自動書記により記載したものが、日本の敗戦と復興を予言したともとれる『日月神示』として知られています。

また、境内には東日本一とされる樹齢1300年以上の大杉が御神木として存在しており、近年はパワースポットとして多くの参拝者を集めています。

車椅子で旅行するポイント

makata_shrine_1.jpg

【1】麻賀多神社の境内外周に舗装された無料の駐車スペースあり。満車の場合は道路反対側にも同様に駐車場あり。

makata_shrine_2.jpg

【2】麻賀多神社入口。正規の参道の右側は段差のないバリアフリー参拝歩道としてつくられたもの。右側を進む。

makata_shrine_3.jpg

【3】やや傾斜がきついがコンクリート舗装のバリアフリー参拝歩道は神楽殿まで続いている。

makata_shrine_4.jpg

【4】バリアフリー参道途中の踊り場から社務所前に出られる。ただし社務所オープンは1日、15日のみで平時は不在。

makata_shrine_5.jpg

【5】正規の参道は階段につきバリアフリー参拝歩道に戻る。なおトイレも車椅子は利用不可。

makata_shrine_6.jpg

【6】麻賀多神社社殿。周囲は地面が剥き出しになっているが平坦。裏手に日月神示の天之日津久神社の祠がある。



麻賀多神社境内図

境内配置図 [凡例]
麻賀多神社社殿 神楽殿 天日津久神社 天神神社 幸霊神社 青麻神社 猿田彦神社 三峰神社 古峰神社 印旛国造(いんばのくにのみやつこ)神社 馬来田朗女(まくたのいらつめ)神社 大杉 祓戸神社 社務所 手水舎 トイレ 国道464号 超林寺 台方歯科 甚兵衛渡し 宗吾旧宅 宗吾霊堂

移動のしやすさ ★★★☆☆
バリアフリーの状況 参道の階段の脇にスロープが設けられており、やや傾斜があるものの介助があれば拝殿まで車椅子で移動することは可能です。ただし、身障者用トイレなどの、その他のバリアフリー設備はありません。

周辺の名所・観光スポット

宗吾霊堂

宗吾霊堂」とは、江戸時代に佐倉藩の圧政を将軍に直訴したとして磔刑に処せられた佐倉宗吾(木内惣五郎)の菩提寺です。惣五郎一揆は歌舞伎などでも題材とされ有名であり、境内にはその事績を紹介する「宗吾御一代館」があります。
正式な寺号は「東勝寺」といい、桓武天皇の時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が戦没者の菩提を供養するために開基したといわれています。
境内の「あじさい園」には5000株以上のあじさいが植栽されており、毎年6月になると「紫陽花まつり」が開催され、全国各地から多くの人手がありにぎわいます。
【身障者用トイレあり。境内は段差なく移動は容易だが、建物内に上がるには階段がある。】

■参考リンク:宗吾霊堂公式サイト